pickup!

アリーナ一行がプレノールの街にたどり着いたのは、夜だった。夜にも関わらず、宿屋前は人で大賑わいで、その中心で微笑んでいるのは、一見高価そうに見えるものの、生地や縫製が安っぽいドレスに身を包んだ、お嬢さま風の女性だった。

見れば、サントハイム王室から支給されている神官風の服に身を包んだ優男が、これまた威厳の一つでも醸し出しているように見えなくもない程度の老人と一緒に、住人からの貢物を受け取っているではないか。

確かに、サントハイム王室支給の正式な神官の制服は目立ってしまう。アリーナの旅は完全なお忍び。だからこそ、クリフトは敢えてサランの近郊にあるクリフトの自宅から、上質な布や縫製であるものの、質素な普段着を持参して、それを着用している。周りから見れば、少し良いところのお嬢さまとお付きの爺や、そして身の回りの世話をする男性にしか見えないのが、サントハイム王国からの本物の一行であった。

クリフトは訝しがりながら、周りのギャラリーになにが起こっているのかと尋ねてみた。

「いま、サントハイムの王女さまと神官さま、そして、外務大臣がこの田舎に来ているんだよ」
「…はい?」
「ほら見てみなよ、俺たちの街みたいな何もないところにも、来てくれる時は来てくれるんだよ。ああ、なんて美しいんだろう……。やっぱり美姫だというのは、噂に違わなかったんだ」
「神官さまも素敵よ? 微笑みを絶やさず、ずっと私たちに愛や神の教えを解いてくださっているの。姫さまを命に替えてもお護りするのですって。かっこいいー」

そこまで聞くと、クリフトはそっと離れ、近くで待機していたアリーナとブライに耳打ちした。

「少し、厄介なことになってますね。どこからかは解りかねますが、我々が旅に出たことが漏れているようです」
「困ったものじゃのー……。あーあー、あんなに貢物をしては、後で困るのはワシらだというに」
「どうしたらいいかな、私」

ふむ、とクリフトは顎を指で支えた。

「……仕方ありませんね、バーンスタイン家の人間として、あそこに神官もどきがいる以上、バーンスタインの名前は使えない、当然、ローゼンバーム家の名前も使えない。ここだけは、バーンスタイン家の遠縁である、ヴィリアーズ家の名前をお借りしましょう。あとで、手紙で義父と当主に知らせておきます」
「問題はないのか?」
「ヴィリアーズ家の子女であるエリザベス嬢は、老獪で有能な老執事と、世話役兼話し相手の若い男女を連れて、エンドールへ留学中です。年の頃も姫さまと同じくらいですし、何か大きな問題を起こさぬ限り、問題はないでしょう。その為のバーンスタイン家ですから、有効的に使わせてもらいましょう」

アリーナは、ふにゃ? と首を傾げている。

「この街では姫さまは、ヴィリアーズ家のエリザベス嬢として活動してください。大きな問題は起こさず、彼らを刺激しないようにやり過ごしましょう。ヴィリアーズ家は資金力はそこそこあるものの爵位は低い。王に謁見することもそうそう叶わないので、彼らの知るところでもないでしょう。解りましたか?」
「うん? うん。でも誰なんだろうねー、あの人たち」
「つまらんことが目的だったらどうしてくれよう。しかし、つまらんことが目的のほうがよほどマシだな。ただでさえ本物の姫さまを連れて歩くのは面倒ごとなのに、さらに余計な面倒ごとはごめんじゃわい」

クリフトは少し考え、泳がせますか。
と、言った。

「我々にとって愉快なことではありませんが、目的が分からぬ以上。接触する時は、彼らをあくまでも本物として扱いましょう」
「面白そう!」
「面白がっている場合じゃありませんぞ、本物の姫さま」
「だってー」

面白がるアリーナを他所に、クリフトはスタスタと宿に近づいていく。

「さあ、エリザベスさま。宿に着きましたよ」
「疲れたわ、早く休みたーい」

街の皆がざわつきだす。

「本物のお姫さまが来ているんだ、宿なんか取れるわけないだろう」

何者か分からない、見かけだけの姫は、地に足が全くついていない、優雅らしく見える仕草を取ってみせた。

「あら、ワタクシは大丈夫よ? だって、ここにいる神官が、護ってくれるんだもの」
「姫さまのことは、なんとしても、命に替えてもワタクシがお護りいたします」

きゃあ、と湧き上がる若い女性の黄色い歓声を耳にしながら、本物の神官は苦虫を噛み潰したような顔をしていた。

「私は……ああいう風に見えるのですかね。あのように軽々しく、ペラペラと姫さまをお護りするなどと」
「さーて、どうじゃろうな」
「だとしたら、心から不愉快極まりますね。身につまされます。今後から気をつけます」

その時だった。
宿の二階から、悲鳴が聞こえたのだ。

「きゃあああ! 助けて!」
「クリフト、爺や、早く二階へ!」

そこでサントハイム王室からの三人が見たものは、ジプシー鈍りの言葉を喋る賊に、細い腕を捻り上げられている偽王女の姿だった。

「姫を返して欲しクバ、南西にアル洞窟からウデワを持ってコイ」
「期限ハ、明日ノ夜マデだ」
「墓場でマツ」
「持ってコナケレバ、王女のイノチはナイ」
「助けて! お願い、助けてッ!」

そうしてそのまま、偽王女は賊たちに引きずられるように拐われてしまった。オロオロするばかりの偽神官が、クリフトに向かって叫んだ。

「貴様、なにをしている! 我々の大事なメ……いや、姫さまが拐われたのだぞ! 早く洞窟から腕輪を取ってこないか!」

それを聞いたクリフトは、偽神官の首元をガッと掴んだ。

「こともあろうに!」

クリフトの怒りは一切収まらない。

「我が国の至宝であらせられるアリーナ姫さまを、賊にみすみす拐わせるとは、なんたる失態だ! 命に替えても姫さまをお護りするのでは無かったか! 挙げ句の果てには地位をかさにして他人頼りか、何の為の護衛、何の為の自分、何の為の命なんだ、恥を知れ!」

このままでは本物の神官が偽神官を、殴り飛ばしかねないと判断したアリーナが、一喝した。

「おやめなさい! 実際に人が拐われているのよ!」
「しかし、ひ…エリザベスさま」
「彼は貴方ではないし、いま争うべき事柄ではないの。おやめなさい? 貴方の品格をそこで下げて欲しくはないわ」
「さてさて、どうしたもんかの」

ばっ、と偽神官の襟元から手を離したクリフトは、スタスタと部屋に入り、ドアを閉めてしまった。慌てて追うアリーナ。
部屋の中に入ると、椅子に座っているクリフトは心の底から不機嫌そうな顔をして、長い足を組んでいた。

「ねえ、クリフト……」
「知りません」
「彼は貴方じゃないわ」
「一緒にされては困ります。命をかけて人をお護りすることの重みをこれっぽっちも理解していない。言葉だけが上滑りしていく。あれと一緒にされる気持ちが解りますか? ……申し訳ありません、姫さまに当たることではないのに」
「彼女たち、悪気があって成り済ましていたようにはどうしても見えないの。拐われていたのは私かも知れなかったのよ、クリフト」

冗談じゃない、姫さまを誘拐なんてそんなことさせるか。とクリフトはにべもない。

「お願い、クリフト。機嫌直して? 腕輪、嫌だろうけど……取りに行こう? 仕方ないじゃない」
「知りません、あいつらに行かせればいい。実際の現実解として、それが一番筋が通っているでしょう?」
「待って? クリフトは胸ぐらを掴んだ時に、ううん、そのとっくの前にわかっているはずよ? 彼らにはそんなもの取りに行けるような力なんてない」
「………」
「ねえ、私の身代わりに女の子がひとり殺されそうになっているの。私はそれが嫌。わがままだとか、甘いとか。そういうお説教なら後でたくさん聞くから。ね? お願い」

クリフトは、眼鏡の奥からアリーナをチラリと見た。アリーナは本心で偽王女を案じていて、南西の洞窟へ、単身であろうとも向かおうとしているのだ。

「……姫さま。私が行かぬと言っても。例えば、お一人であったとしても、洞窟へ向かうでしょうね」
「うん」
「ならば、私はその姫さまをお護りするだけです。それより他に理由も理屈もありませんからね」
「うん……。ありがとう、クリフト。感謝しても、しきれない」
「礼は後で、彼女たちから聞きましょう」

アリーナは思った。

クリフトは何故、自分のことをこうまで思ってくれるのだろうか。単に幼なじみ、そして、父親から命じられた、いち護衛に過ぎない。無茶な命令だと思えば、拒否することも自由なのに、貴方が行くから、私は護ると言って、結局はついてくるのだ。

ずっとずっと好きだと態度に出しているのに、気付いてもくれないクリフトのような朴念仁が、いまさら私のことを好きだとか。そんなことありうるはずはなく、ただただ、父王や義父の言う通りにしているだけなのか。それにしても、あの怒り様は尋常じゃなかったわけで……。

考えても。
考えても。
クリフトのことがわからない。
近くて遠く、謎は深まるばかり。
それなのに、アリーナの心の半分を占めて埋めて、心を暖かくし、魂の半分がクリフトにある様な気がしてならない。

いっそのことクリフトに、クリフトのことを恋愛対象として見ているから、クリフトも私をそういう風に意識して欲しいと言えたらいいのに。でも怖いのだ、恋愛感情など必要ない、とスッパリと切られてしまいそうで。

もし、クリフトに好きな人が出来たとき、私を護ってくれなくなるのかな。人の両手はそんなに大きくないもの……。抱えられるもの、抱きしめられるもので、精いっぱいになってしまう。私に恋愛感情など一つも持たないのに、単なる使命感で護られてしまうことの怖さの方が上に立ってしまう。つらいし、怖い。

クリフトの心の隙間。
どこでもいい。
私個人が入り込む余地が欲しいと。
アリーナは、南西の洞窟へ向かうクリフトとブライを追った。少しだけ痛む恋心を抑えながら。いつか言えるだろうか。

クリフト、大好き。愛してると。

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