pickup!

クリフトが倒れたのは、砂漠だった。

アリーナの身体よりも大きな砂蠍が、大きな尾に沢山の毒を溜め込んだまま、アリーナの喉元へ、その尾の太い針を刺しこもうとしたその刹那。
クリフトが身を呈するようにアリーナを抱え、摩訶不思議な呪文を唱えたのだ。荘厳でありながら、暗く湿った夜の闇を思い起こさせるような、その魔法の途中から、砂蠍の身体は熱く膨れ上がり、そして瞬時に氷漬けのように冷たく、冷たくなり、命は絶えた。

同時にクリフトは倒れ込んでしまった。
ゆすれども、声をかけようとも、ピクリともせず、最初は眠っているかのように見えた。そして、みるみるうちに高熱を出し、その唇からは微かに呻き声が聞こえてきた。

とりあえずアリーナがクリフトを抱えて、砂地を踏み締めるように歩いていると、遠くから大きな馬と馬車を従えた旅のキャラバンが通りがかった。

「死んでいないのなら乗せてやる」

そう言って、馬車に案内してくれた。

「ヤバい病気じゃないだろうな?」
「そんなに危ない病気なら、私が最初に感染しているわ」
「そう噛みつくなよ、お姉ちゃん。可愛い顔が台無しだぞ。これから俺たちはミントスっていう比較的デカい街へ向かうんだ。そこには医者もいるし、立派な宿もあるから、看病しやすいだろう」
「ありがとう……」
「熱上がってきてるんじゃないのか? 少し飛ばすぞ」

親切なキャラバン一行に連れてこられたのは、彼らの言葉通りに立派な宿も医師もいるミントスだった。そこでキャラバン一行と別れたアリーナたちは、すぐに風通しのいい部屋にクリフトを寝かしつけ、医師に相談した。

しかし、医師の言葉はアリーナたちが聞きたくない言葉であった。

「なんらかの要因があって、体力が限界まで落ちており、このままでは……。どちらにせよ、現状の私には打つ手がありません」
「そんな…!」
「そこをなんとか、なりませんかの」

医師は首を振るばかり。
そこに、一人の吟遊詩人が「扉が開いていたもので、盗み聞きするつもりはなかったのですが、その……体力だけの問題なら、お力になれるかもしれません」と声をかけてきた。

「どんな、ちっさなことでもいいの。教えて」
「は、はあ」

気の弱そうな吟遊詩人は、必死なアリーナに応えようと思いを巡らせた。

「酒場で小耳に挟んだ程度なのですが、パ…パデキアとかいう植物がありまして、その根には大変な滋養の効果があるそうなのです」
「どこにあるの!」
「確か…ソレッタという小国の特別な畑の土でしか栽培出来ない、とか……なんとか」
「ありがとう、ソレッタね!」

気がついたときには、彼女は駆け出していた。

「姫さま!」
「爺や、もう私は誰も失いたくないの! もう誰も!」

そのまま、彼女は駆け出した。
もちろん酒場へは寄り、同行者を雇った。
目的地までの同行者がいることが大切なことは、クリフトとブライとの旅で思い知ったからで、彼女がひとつ成長した証であろう。

それから、彼女は走りに走った。
ソレッタに向かって、パデキアを求めて。
途中、何度もモンスターに出会したが、蹴散らした。彼女はクリフトのことしか考えていなかった。

たしかに自分を狙った砂蠍は不可解な死を遂げた。その死をもたらした者がクリフトであるというのも分かっている。しかし、だから、なんだというのだ。クリフトはクリフトで、なにも変わらない。アリーナの大事な幼なじみ、大事な仲間。世界でたったひとりの想い人。

ようやくソレッタに到着したアリーナを待っていたのは、パデキアではなく、ソレッタの王が言い放った厳しい現実だった。

「お嬢さん、せっかくきてくれたんだけどねえ」

すっかり日焼けをし、両手にマメをたくさん作ったソレッタの王は、お日さまを仰ぐように帽子を整えて、こう言ったのだ。

「数年前の大かんばつで、タネが全滅してしまったのだよ。だから今は作ってない。しかし、芋や大根、人参、ほら、この時期にはめずらしい南瓜なんてものも……」
「そんな…パデキアの根は手に入らないの?」
「手段はなくはないんだけどね、いやあ、君のようなか弱いお嬢さんに、あのような賊避けだらけの洞窟に、冷凍保存された種を撮りに行ってもらうってのも、なあ」

呑気に構えているソレッタの王は、鎌をさくりと地面に刺した。

「無理難題ってものだろう」
「私、行きます」
「いやあ、賊避けの仕掛けに、今では魔物だらけでワシらも手が出せんのだよ、ましてやそんなか弱そうなお嬢さんに」
「私、助けたい人がいるんです。どうしても、どうしても今すぐに助けたいんです。お願いです、場所を教えてください!」

アリーナの気迫に負けたソレッタの王は、地面に棒を使ってカリカリと地図を描いた。

「賊避けの扉があってね、それを破り、仕掛けを解いて、最奥にあるはずなんだ。もちろん手に入ったら、手に入れた人に一番に差し上げよう? ただし、本当に大丈夫かい。冷静にならなければ、仕掛けは解けないよ」
「はい」
「気をつけて、行くのだよ」
「はい」

アリーナはまた風のように飛び出した。
何度も転び、顔や服、手入れされた髪の毛に泥がこびりついても、気にしなかった。
---クリフトが待っている。

一方、ソレッタの城の近くの畑。
もうひとりの男が、王に声をかけていた。

「鉄砲玉みたいな女の子来なかったか? あと、パデキアの種みたいなものは、冷凍保存が効くはずなんだけど、どっかにそんなもんねーかな? ああ、それにしても良い土育ててんなー。ここまで土育てるの、すっげ大変だったんじゃねーの? 見てみろよ、あのすっげぇ大根。根元から引っ張らないと折れるぜ、あの長さ」

ソレッタの王は、今日は客が多いなと言ったが、その顔は嬉しそうだった。

「大かんばつからここ、土を戻すのは大変だったよ。君、農業のことをよく知っているみたいだね」
「家が農業と木こりだった、土は大事だよ。ここの土は魔法のようによく出来てる。国の宝だって言っても過言じゃないだろーな」
「鉄砲玉みたいな女の子なら、君の言う通り冷凍保存された種を取りに行った。少々冷静さを失っていたようだったから、もし出逢ったら気にかけてやってほしい。彼女、まるで自分に課した使命のように動こうとしていたから」

若い男は振り返り、老人に声をかけた。

「おい、爺さん。やっぱりここに来てたみたいだ。追わないと、クリフトとアリーナ、両方ともダメになっちまうかもな」
「どうしてこんなことになったのやら……」
「運命が動こうとしているんだわ、足早に」
「運命よりも種よ種。さっさと見つけて、ご褒美貰っちゃいましょ」

そうして、もう一つのパーティもソレッタの洞窟に向かって行った。

「はー…。でやぁ!」
「おかしいな、彼女はここの鍵を持っていたはずなのに、蹴破ってしまったぞ」

---クリフト、待っててね。
きっと私が手に入れてみせるから。
お願い、間に合って。

「爺や! どうしてここに! 誰がクリフトをみているの!」
「宿のものが見てくれるというから、追ってきましたわい。姫さままで無茶をなさって失うわけにはいきませんからな!」
「私は大丈夫、先に種を見つけるのは私なのだから!」

とはいうものの。

頭にすっかり血の上ってしまったアリーナには、賊避けの仕掛けが鬱陶しくて堪らない。そうこうしているうちに、モンスターが山ほど押し寄せてきたり、爺やが連れてきている若い男が少し首を傾げるだけで、するすると仕掛けを解いていってしまう。
最後には、パデキアの種もその男が手に入れてしまった。悔しいと言ったら無いが、これでクリフトが助かるかもしれないのだ。

「姫さまは先にクリフトの元へ帰っていてくだされ、クリフトを看る者が必要ですからの」
「……悔しいけど。ほんとに悔しいけどわかった。必ず根っこをもらって帰ってきてね、私、先に帰っとく」

それからというもの。
アリーナは走りに走り、ミントスへ向かった。
そぼふる雨の中、何度も足を草に取られては転び、起き上がっては転び。靴も服も髪も顔も泥だらけの傷だらけで、痛みすら忘れて走りに走って、クリフトの枕元へやってきた。

『うぅ…』

うなされてばかりのクリフトの額に手を当てると、驚くほどの高熱。アリーナは急いで冷たい水を汲みに行き、タオルでクリフトの額や首元を冷やした。

「もうすぐ、もうすぐお薬が来るから……」

自分は守られてばかり。
いざというときに、クリフトを守れなかった。救えないのは自分では無いか。彼女は人の上に立つ器など一つもないと、己の無力さを呪った。

悔しいやら悲しいやら、苦しいやら、それでもパデキアの根が手に入る嬉しさで胸をいっぱいにしながら、彼女にとっては一秒一秒が、凄まじく長かった。そして、いよいよ己の無力さに押しつぶされそうになったとき、先ほどパデキアの種を取りに行ったときに出会った若い男が、アリーナの頭の上にひょいと何かを乗せた。アリーナが頭の上からそれを下ろすと、まさしく何かの植物の根っこだった。

「治ると良いな?」

見れば、ヘラっと笑った若い男も泥だらけの傷だらけだったが、基本的な治療は既に済んでいたようだった。

「姫さま、傷だらけでは無いですか。はやく治療を……」
「クリフトが先。私のこと、治してくれるのはクリフトなの」

根っこの煎じ方は若い男とブライに同行していたらしい、商人らしき恰幅の良い男に教わった。

「珍しく乾燥させなくても効果がある植物らしくですね……。これを砕いて…そうそう。そうやってこまかーく砕いて、ゆっくりと湯出しします。ソレッタの王さまが言うには、お湯の匂いに強い苦味やえぐみのようなものが出れば、一度濾して……。そうそう、それでいいと思います。それにしても否応なしに元気が出そうな、すごい匂いだ。さあ、彼にこいつを飲ませて、あとは天に指をクロスして祈るのみでしょう」

アリーナがクリフトの口元に恐る恐る煎じ薬を持っていき、クリフトが一口飲んだのを見て、もう一口、と匙を薬にやった途端、ものすごい勢いでクリフトが飛び起きて、首を押さえながら咳き込みはじめた。

「苦かったかー」
「よほど、苦かったんですねぇ」
「……クリフト! クリフト、良かった、気がついたのね!」

アリーナはなりふり構わずクリフトに抱きつきたいと思ったが、自分ひとりがクリフトを救えたわけでは無いから、とその気持ちを抑えていると、クリフトはおぼつかない腕を伸ばして、アリーナの頬をするすると撫で、まだろくに回らぬ口で、止血の呪文を唱え始めた。

アリーナの頬や額の傷がみるみるうちに治っていく。何も言わずとも、自分の傷を黙って治してくれるのはクリフトだけ。アリーナは、ぼたぼたと涙を流し始めた。自分が、治すと決めて、治すことも守ることも出来なかった、人ひとりを守ることがこんなに難しいと知って、それすら守れなかったアリーナに、なにを泣いているのだと言わんがばかりの優しい笑顔を向けて、クリフトはアリーナの頬を優しく撫で、泥だらけの髪の毛を手で梳いている。

「……なにが起こったか、よくわかりませんが。……もう大丈夫ですから」

そうして、笑顔の苦手なはずのクリフトは、アリーナにめいっぱいの笑顔を見せた。

「ごめん、ごめんね。クリフト。苦しかったよね、ずっと高い熱が出ていて、うなされて……。お薬、取りに行ったけど、私は取れなかった、ごめんなさい」

何故か少し不思議そうな顔をしているクリフトに向かって、アリーナは続けた。

「ここにいる…あ、あそこにいる、アルディさんたちがお薬を取ってきてくれたの」
「目ぇ覚めたかー?」

ひょいと顔を見せたのは、先の若い男性。
アリーナは思った。綺麗で精悍な顔をしているけれども、少し影のあるクリフトの方がカッコいい。2人は同じ歳くらいだし、もしかしたら仲良くなれるかもしれない。クリフトに目立った友人もいない、もし彼が友人になってくれたら……。
クリフトと2人で頭を下げた。

「ありがとうございます、なんとお礼を申し上げれば良いか……」

すると、その若い男は照れるのか、いいよいいよと手を振った。

「あー、いいっすそういうの。そこにいる爺さんがこの世の終わりかってくらい困ってたから、なんとなーく手助けさせてもらったってーか……。もしお礼くれるなら、煙草と酒奢って」
「私はクリフト。クリフト・バーンスタインです。お酒なら、お好きなものを何本でも私の名前で買ってください。煙草は…不勉強なもので」
「冗談で言ったのに、名前で買えるとかすごくね? 俺、アルディ。アルディ・レウァール。色々あって旅してる」

アルディと名乗った彼は、泥だらけのまま、にまっと笑った。色々あったことがなんなのかは分からないけれど、とても気の良い、優しい人なのかもしれないとアリーナは思った。ともかく、挨拶だけはせねば。

「挨拶とお礼が遅れましたことをお詫び申し上げますわ。わたくし、アリーナ・フォン・ローゼンバームと申します。訳ありなのは同じなようですわね。私たちはサントハイムの城が無人になってしまった事件を追うべく、クリフトとブライとで、デスピサロを追ってますの」

アルディの顔色がずるりと暗いものに変わった。

「そんじゃあさいならってワケにはいかなくなりそうだな、俺が探してるのもソイツだ」
「世界は狭いみたいじゃな」
「どうしよう、ご一緒させてもらえたらすごく頼りになるんだけど……」
「おう、構わんよ。ここにいるやつらは、あそこにいる太っちょのトルネコ除いて、皆んな訳ありだ」

マッチを擦ってパイプに火をつけようとしていたトルネコと呼ばれた男は、心外な! 私の旅の理由は訳ありも訳ありですよ! と胸を張った。
さきほど、パデキアの根っこの煎じ方を教えてくれたのは、トルネコという人だったのか。

「私、マーニャ・ミュール。一応踊り子を酒場でやってたり。こっちは妹のミネア・ミュールよ。彼女は占い師。……時々、運命とか変なこと言うかも知れないけど、職業柄だから許してね?」

煌びやかで姉御気質の女性が、クリフトに握手を求め、私もお酒と煙草奢って欲しいなー? と囁いた。
アリーナは気が気でならなかった。ただでさえ、煌びやかな美人がクリフトに酒とタバコをねだっていて、値踏みするような眼でクリフトを見つめているのだから。

「構いませんが……」
「やった! ベネフィクトコンフィの24年物ォ!」
「構いませんが、26年物の方が美味しくないですか?」
「……やだ、お兄さんったら、坊さんの癖に舌肥えてる。気前もいいし、お金持ちっぽいし、いまは顔色悪いけど、よく見たら……って、よく見なくても超男前じゃない」

マーニャと名乗った女は、まじまじとクリフトの顔を覗き込み、これなら年下で坊さんでもイケるかもしれない、と言い出した。
ダメ! とアリーナは思った。
年上でも年下でもお坊さんでも、国の執政を担う神官であろうとも、クリフトを取られるのだけは絶対にいや!

「ちょっと姉さん! すみません、すぐコレなんです。アルディにもこうだったし。だからモテないんでしょ、姉さん」
「カッコいい男の人は占有じゃなくて、みんなで共有されるべきなのよ」
「……ダメです」

ようやく口が開いたと思えば、クリフトを占有するような言葉。アリーナは心底後悔した。違うのに。クリフトには…もう少し私を見てもらいたいだけなのに、と。

「お姫さま占有だった? ごめんなさい」

幼なじみなだけだけれど、クリフトは、私の好きな人だから。私が気になって、気になって、仕方のない、本当に大好きな人だから。……恋人ではないけれど。

「ちがっ……違うけど、ただの幼なじみだけど、だ、だめ!」
「私、可愛い女の子も大好きー」
「姉さん! 相手は王女さまよ!」
「これからは仲間だもーん!」

自分に抱きついてきたマーニャという女性に、アリーナはただ翻弄されるしかなかった。

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