pickup!

クリフトに、庇われたのは何回目だろうか。
アリーナはクリフトの寝室で、包帯を巻きつけられたまま眠る彼の横顔をずっと見ていた。

いつだって、無茶な庇い方をするのだ。
ある時は、自分が瀕死なのにも関わらず、自分の止血より、軽傷のアリーナを優先して意識を失った。またある時は、非戦闘の待機中なのにも関わらず馬車から飛び出してきて、横っ飛びをしながらアリーナを庇い、大樹に頭から強打し、また倒れた。

枚挙に暇がないその様に、アリーナは何度も何度も彼に問いかけ、そして時には涙を流さんばかりに懇願した。

---助けてくれるのは嬉しいが、まずは自分を守って欲しいと。

彼は、そのたびに居場所が無い子犬のような顔で薄く笑うだけで、アリーナは自室に戻るや否や、わんわんと泣くのだ。クリフトの言うところの、命をかけて守るということは簡単なことでは無い。それは分かっているが、共倒れになるのはごめんだ。彼女がひとり、誰も預かり知らぬ場所で涙をいくつ流したとしても、彼は変わらなかった。

王女は涙を見せてはならない。
簡単に見せてしまっては、皆の士気が下がる。
民の心が離れていく。
彼女はそう、習っていた。だから、彼女はいつも元気を装った。中にはカラ元気も大いに含まれた。

だが、彼女は彼のこととなると、まるで泣き虫でわがままな幼女のようになってしまうのだ。恋のなせる技だった、彼の心が欲しくて仕方ない。全く愛のない、そのくせ命をかけた護衛には、何度も何度も泣かされていた。

いっそ、自分のことなんか嫌いならいいのに。
そうすれば自分も泣かなくて、すむのかな。

止血の魔法と、鎮痛と消炎の薬草を使い、アルディの魔法で眠るクリフトのベッドには、もうひとり横になれるスペースが空いていた。アリーナは、ただ、クリフトを抱きしめたかった。彼の命の温かさを感じたかった。だから、アリーナがクリフトの横のスペースに滑り込んだのは、他に深い意味があってのことではなかった。

彼女はクリフトの手をそっと握る。
温かく、骨張っていて、男の人の手だった。自分の手は小さく、柔らかい。小さな頃から共にいた。クリフトは小学生の頃にエンドールの一流大学へと留学してしまい、帰ってきた頃には背が伸び、声変わりもしていて、そうしてそのまま、サントハイムの神学校へ入学してしまい、なかなか会えない日々が続いた。クリフトがいつの間に男の子から、男の人になったのか。それはよくわからない。クリフトがいつの間に、自分に厳しくなったのかも、よくわからない。わからないことだらけのアリーナでも、これだけはわかるのだ。

クリフトのことが好きだと。
いつも守られてばかりの自分でも、クリフトのことを護りたい。せめて、夢の中だけでもいい、クリフトの本心を知りたい。

そう思っているうちに、アリーナはクリフトの隣でスヤスヤと眠ってしまったようだった。
1匹の美しい蝶が、アリーナの周りを飛び回っていた。蝶は言った。

「これは蝶が見る夢かも知れないし、蝶の夢を見る王女さまの夢かも知れない。恐れず進む勇気があるならば、一点の光に向かえ、そこにいる者は、あなたが知り、あなたが理想とする彼ではないかも知れないけれど」

アリーナはふわふわする足元に気をつけながら、一点の光に向かって進み始めた。
生臭い臭いがする。
今まで、クリフトが屠ってきた魔物たち。そして、クリフトが、祈りを捧げた魔物たちだった。アリーナは息を飲んだ。中にはクリフトの死体があったからだ。

「怖いかい? ここにメモがあるよ」

いつの間にかアリーナの足元に落ちていたメモを拾い上げると、そこにはクリフトの筆跡で「逃げろ 逃げろ 逃げろ」と書かれていた。

「ううん、逃げない。私、本当のクリフトを知りたい」
「夢の中に入り込める。王女さまは特別な力を持っているのだね。さすが不思議な力を持つサントハイムの血縁といったところか。しかし、これはまやかしかも知れないし、本当に彼が後悔の渦の中にいるのかも知れない。だが、こんなものはまだ序の口だ」
「ここに穴がある。さらなる闇への入り口だ、クリフトの抱える闇へ、君はまだ進もうというのかい?」
「行くわ」
「ははっ、残酷だね、君も。飛び降りれば良いだけさ、ただ、ほらご覧よ、この壁に書かれたクリフトの書き殴りさ」

『本当に姫さまの人生に残りたければ、死ねば良い。姫さまの幸せや人生とは、別のところにあるのかもしれないけれど』

「死ぬなんてどうしてそんなこと……」

振り返ると、蝶はもういなかった。

耳をつんざかんとするばかりの静寂が残る。
アリーナは意を決して、穴へ飛び込んだ。クリフトを知る為に、もっと深く解りたいが為に。

暗く大きな螺旋階段に出た。
どこに天井があるかもわからない高さからは、白骨が入った籠がいくつもぶら下がり、なかには人の形をした人形が入っていることもあった。登っていいのか、下ったらいいのか。アリーナはカンカンと足音を立てて降りていく。下から吹く少しの風を感じながら。そうするうちに、アリーナは思うようになった。

籠の中の人形や、白骨化した身体。

いままで、クリフトが自分を抑圧するたびに、無意識のうちに出来上がってしまったものなのかも知れないと。彼が怒ることは滅多に無いけれど、彼はとても自分に厳しい。自分を律するたびに、彼は好ましく無いと感じる自分を厳しく罰してきたのではないだろうか。時には、感情のない人形のように振る舞ったり。クリフトの、自分に厳しいということが、こんな闇を抱える羽目になるとも思っていなかったので、アリーナは怖々と進む。次の光まで、もう少し。

階段を降り切ると、そこには夜のサントハイム城の裏庭という見慣れた景色があった。しかし、今では大きくなったリンゴの木もまだ背が低く、思ったよりも昔の光景のようだった。そして、葬式の鐘が鳴り響いていた。

「お母さまの……お葬式の日?」

小さな男の子が、棒で地面を掘っていた。
まだ登城したばかりのクリフトだった。

「どうしたの?」

声をかけると、男の子はチラリとアリーナを見て、そうして、もう一度アリーナを見て泥だらけの棒を持って立ち上がった。

「……知ってる? 神さまは悪魔よりもニンゲンを殺しているって」
「ええ、罪多き人間を罰し、よりよい人間を残し、繁栄させる為にそのようにしたと、聖書で読んだことあるわ」
「オレ…じゃない、ぼくはそういうの嫌いだ」

幼いクリフトの手は土に塗れていた。

「さっきまで、ここで泣いてた子がいたんだ。お母さんが死んだって泣いてた。あの子、まだ小さかった。……自分には、最初から親なんていないから悲しいとかわからないけど、どうしてあの子はこんな冷たいところで、ひとりで泣かなきゃいけなかったんだ。あの子にとって、お母さんは必要だったんだと、オレ、思った。神のみもとへ行ったから、泣くなって、みんなであの子に言ったらしい。悲しいのに、辛いのに、神のみもとってなんだよ、あの子の側がいいに決まってる。泣いちゃだめって、なんでだよ。神さまってやつは、冷たいよ。周りの人たちも。なんであの子にとって必要なお母さんを、連れてっちゃったんだ。そんな神ならオレは信じない」

ーーーあの子が笑ってくれるなら、オレ、なににでもなるよ。オレには何もないからね……。

大きな錠前が落ちる音がしたかと思うと、気がつけばアリーナは荘厳極まる教会の中にいた。空からは燦々と光が降り注ぎ、古いステンドグラスを通して美しい女神像を照らしていた。

そこにクリフトはいたのだ。

「拒否し、否定することならば、誰にでも出来ます。昔の私は幼かった」

彼は言った。

「私がミントスで命を落としかけた時、姫さまは神に祈ってくださった、と後から聞きました。私は、恐らく人間ではありません。この身体に流れる血は魔物のそれと大差ない。暗く、血を好み、色を好み、人間を嬲り啜って生きる彼らと大差ない私だけの為に、姫さまは祈ってくれた。それに神や天使は応えてくれた」

私は、一人であるようで、一人ではなく。
誰かの為に生きられる。
命を捧げることが出来る。
たとえ自分が、なにであろうとも。

神を信じてみよう、と思ったわけではないけれど、姫さまの信じる神を探してみようと、思いました。……しかし、あまりに道は険しすぎます。姫さまが生き長らえないと、皆が生き長らえないと見えるものもきっと、見えない。

私はもう少し、生きてみたいと思った。しかし、長らく決めてきた生き方はそう簡単には変えられない。醜くも、今日も生きながらえました。姫さまが、皆が行く限り、私は迷い、命を削りながら生きていくのでしょう。

「この女神像は、姫さまの信じる神が見つかるまで、この私の心の中にいます。だから私は祈り続けます、皆のために、姫さまの為に。そしてなにより、」

ーーー自分の為に。

「いつか、私は人になりたいと願っています。叶えばいいですけれど……。その前に、城の皆が戻ってくることが先ですね」

姿かたちが人であろうとも、人ではない私であっても神は受け入れてくれるのでしょうか。見つかればいい、見つかるまで。

「私は、酷い怪我をしているのでしょうか」
「うん。ねえクリフト。私、痛いのは嫌だけど、クリフトに命を削られるのはもっと嫌よ。だから、やめて」
「こればかりは、任務でもなんでもなく、自分で決めたことだから、変えられないな」

ははは、と苦笑いをするクリフトに、アリーナは、どうしてよと縋り付いた。

「いつかお話しますよ、いつか」
「いつかっていつよ、なんなのよ、この朴念仁! ばか、にぶちん!」
「鈍くはないはずですよ? 反射が良くなければ姫さまを守れなかった。さあ、姫さま。ここは私の夢、私の最後の心の領域。もうそろそろ恥ずかしいのでお引き取り願えませんか?」

女神像から振り返った彼の姿は、とてもこの世のものとは思えない程美しく微笑んでいて、光に包まれたままのクリフトを見ながら、アリーナは夢から引きずり出されるような感覚を得た。

目が覚めると、クリフトがほんの少しだけ、本当にほんの少しだけアリーナの手を握っているようにアリーナには思えて、それがとても嬉しくて、彼女はまたぽろぽろと涙を流した。王女は泣いてはいけない。皆の士気が下がるから。王女は泣いてはならない。皆が不安がってしまうから。しかし、彼女は王女の前にアリーナという女の子、女性であった。

「クリフトは……クリフトだよ。たとえ、誰であっても何であっても。私、知ってるもん」

そうして、アリーナはまた目を閉じた。
今度は不思議な夢を見なかった。

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