pickup!

ことのはじまりは、いつだって突然疾風のように現れ、風が凪ぐ頃には自分は別の環境に置かれていたことが殆どだ。と、後期のクリフトの手記にある。

その時もそうだった。

まだ幼さの残る14歳のアリーナが、もじもじとしながら、一つの書簡を持ってクリフトの元へやってきた。思えば、それが全ての始まり。

クリフトはサントハイム随一の神学校を主席で卒業。王宮使えの神官になって間もなかった。神官、といってもクリフトは宗教国家において、ただの神職ではない。政治的役割を担った存在でもあり、実際、他の神職の人たちとは違う制服を身に纏っている。

幼なじみであるアリーナ姫は親友でもあり、また、少し手のかかる妹のような存在だと思っていた。その割に、眠れない夜を何度過ごしたか知れない。本当に手のかかる王女さまなのだ。わがままで。でも、優しくて。

アリーナは、こそこそとクリフトの元へやってきて、そっと書状をクリフトに手渡した。

「……猛る獅子の蝋印。エンドールからの書状じゃないですか」
「しー。これはモニカ姫からの個人的なお手紙。いいから読んで読んで、私の話を聞いて欲しいの。声に出さないでね。はやく」

クリフトは訝しく思いながら、書状を読んだ。

『拝啓 アリーナさま
そちらももう花が舞い散る季節になりましたでしょうか。モニカです。お元気でいらっしゃるでしょうか?』
「そこの部分はいいから、2枚目、2枚目」

アリーナに急かされるままに、書状の2枚目を読んで、クリフトは目を丸くした。

『今度、我が国のコロシアム新設の記念に、武術大会を行うのだけれど、もう最悪。お父さまが私を優勝の商品にすると、酒席で言ってしまったの。もう取り返しがつきそうにありません。優勝するのが男性なら、私はその人と結婚しなくてはならなくて……。たすけて、アリーナさま。アリーナさまは武術に長けているとお聞きしたのだけれど、もし優勝するのが女性なら、お父さまも考えを変えてくれるはず……。聞けば、魔物も参加するみたいで、私はノイローゼになってしまいそう。たすけて、お願い。こんなこと頼めるのはアリーナさまだけなの……』

「姫さま、武術大会に出るおつもりですね?」
「うん……」

クリフトは大きくため息をついた。
エンドールの王は何を考えているのだ。

「いいですか、姫さま。武術大会に出るとか。そうなればこのクリフト……」

そこでクリフトは不思議そうな顔をして、一度首を傾げた。自分で何を言っているのかわからない、といった風に。

「いえ、王がどんなにお嘆きになることか」
「クリフトは反対するの?」
「賛成とも反対とも言い難いですよ、確かにこの書状を読めば、モニカ姫に同情も致しますし、ご友人ともあらばこの窮状に駆けつける。その気持ちもわかります。しかし、姫さまにも危険が伴う。ああ、でもなあ……」

「なあに? はっきり言って、クリフト」

「姫さまの性格上、モニカ姫の窮状を盾に城を出ようとはしないでしょう。むしろ、腕試しをしたいと言って、城を出るに違いない。モニカ姫の今後にミソがつくようなことは、姫さまはしないはず」

アリーナは、うるん、とした瞳でクリフトを見上げた。

「そうなの! さすがクリフト、わかってる!」
「だから、王はお嘆きになるでしょう、ね」
「どうしよう……」

「姫さま。先日、自室の脆くなっていた壁を蹴破ろうとしましたね? いま修理に入っていますが、優れた修理工とて、城の壁を1日や2日の突貫作業で直せるものじゃない。いつかは休憩に入るでしょう。……仕方のない、姫さまだ。私は姫さまのゆく道に反対なんてしません。ただ、心配しているだけです、一人旅なんて絶対に」

「だって、私のわがままだし、独善的な理由なんだもの……」

しゅん…としたアリーナの頭をくしゃくしゃと撫でたクリフトは、そのまま、アリーナの髪の毛を手で直した。するする、と元に戻っていくサラサラの髪の毛。

「姫さまが言い出したことを曲げたりするようなことは無いと、王も分かっておいででしょう。……どうにか、なるかもしれませんよ」
「うん」

アリーナは、ちらりとクリフトを見上げた。

長い睫毛に海の底を彷彿とさせるような蒼い蒼い、緑も少し入った髪の毛。背も高く、整った顔立ちに、他の神職者と違う王宮勤めである証拠に、襟からロープの裾までシワひとつなくピンと決まった緑の制服。

これで、剣術や棒術、槍術まで会得しているのだから、ただの頭でっかちの次期大臣ではない。誰にでも等しく優しく論理的で、アリーナの憧れであり、サントハイムの誇り。心から素敵だと思うし、彼を見ていると、胸がドキドキして、頬がぽうっとしてくるのを、彼女は感じていた。

すると遠くから、外務大臣であるブライがクリフトを呼ぶ声が聞こえた。

「姫さま、クリフトをお借りしてもよろしいですかな」
「も、もちろん平気よ? さあ、行ってきて。お仕事の話かしら。クリフトも大変ね」
「大変と分かってこの職に就いたのだから、大丈夫です。暇な方が頭が疲れます。それでは、姫さま失礼いたしますね」
「うん、私はもう少し城内で抜け道がないか見てくる」

アリーナは、ごきげんよう、ブライ。いつも元気ね? 私、エンドールに行きたいのだけれど。といきなり何度も口にしたであろう本題を口に出して、ブライからのしかめつらを喰らいながら、城内に消えていった。

「どうしましたか」
「お前、旅の準備をしろ」
「どういうことです」

「姫さまがエンドールの武術大会に出たがっておるのは、数日前から知っているだろう? もうあそこまで言い出したら儂等の反対など聞かん。ついていくしかない、儂は目付役、お前は護衛だ」

クリフトは、一瞬ふと考えたのちに口を開いた。

「何故、私が護衛なのです? 城には女性の戦士も大勢います。年の頃が近く、異性の私が護衛役では、他の貴族の皆さんにも誤解を与えかねません。……その、なにもなくとも」

「これも王が決めたことだ、早く用意しろ。モタモタしていると姫さまが城を飛び出すぞ」
「あの、今抱えている私の仕事は?」
「引き継ぐやつはおるわい。万が一外地で仕事が発生したとしても、そこで出来ないとは言わさんぞ」

クリフトは、急いで旅支度を整えた。
足りないものは現地で都度調達すればよい。
最低限の旅支度。

最後に、公爵家に伝わる大剣を背負い、アリーナが飛び出してくるであろうアリーナの部屋の真下にブライと陣取った。程なくして、めきめき…と何かが軋む音がしたかと思うと、ばきりとアリーナの部屋の壁の補修に使っていた板が盛大に割れ、同時にアリーナが壁から飛び出してきた。

音に驚いたのは、城の中庭に住むついているメス猫のミーちゃんで、とっさに逃げ出そうとするところをアリーナはそっと抱き上げて、何事か短い別れの言葉を伝えたようだった。さらに下の階にブライとクリフトが陣取っていることはもちろん知らず。

「やれやれ、やっと追いつきましたぞ」
「これからは我々がついていきます」

アリーナはギョッとした顔で2人を見つめたあと、肩をすくめた。

「連れ戻されるんじゃなかったら、いいわ」
「連れ戻しても一向に構わんのですぞ」
「いーや、よ。爺やのお願いでもそれはダメ」

クリフトはその間黙ってアリーナをじっと見つめていた。見つめられているのに気付いたアリーナは、頬をぽわんと赤くして「クリフトも、ついてきてくれるんだ」と呟いた。

「クリフトが城に帰れば、姫さまも帰るのですかな?」
「そ、そんなことないもん! ばかばか、私一人で大丈夫なのに!」
「エンドールへ向かう前に必需品もあるでしょう。サランの街へ向かいませんか」

アリーナの恋心もどこ吹く風のクリフトは、最低限の必需品を背負った袋を背負い直し、サランの街を指さした。

「姫さまのことだから、なにも持たず飛び出して来たのでしょう? 道は険しい、前準備は必要です。色々と用意しましょう」
「……はぁい」

姫さまはクリフトの言うことならなんでも聞くのか、とブライは呆れながら、2人の後についていった。それが、すべての始まりだった。

そう。クリフトが、自分の深く、ある意味歪んだ恋心を自覚するずっと前の話である。

更新お知らせ用ツイッターはこちら

おすすめの記事