pickup!

そこでようやく、クリフトが口を開いた。

「世の中に、色々悩みはあれども、人が下せる最終的な決断は、やる、かやらないか、の二つしかないのです。姫さまは下野しなかった。サントハイムに、元通りに人が帰ってくるまで。姫さまはその祈りを糧にしながらでも、進み続けてきた。……姫さまは、昔から笑顔を絶やさないように振る舞ってこられた。それが癖なのか、染み付いた習慣なのか。私には分かりかねますが、それでも個人的に時々思うことはあるのです。姫さまが皆や自分を奮い立たせようとする笑顔の裏には、はちきれんばかりの不安や、寂しさがあるのではないかと」

アリーナは、ハッと何かに気づいたようにクリフトを見上げた。夕陽を背中に背負ったクリフトの表情こそ、彼女からは見えなかったが、彼のその声色は、神官という殻をまた脱ぎ捨て、幼馴染として一緒に成長してきた、ひとりの男性としての優しさに満ちているように、彼女は思えて、ふと、泣き出しそうになってしまった。

甘えてはならない、他人に涙を見せることなど以ての外だと教えられてきたアリーナは、心の底から弱音を吐き、甘えられる人など、いない。
まとまらない気持ちを、ぶつけられる相手も。
狭い交友関係。本当は不器用で内気な性格。
そして、本当は不安で胸がはち切れそうになって、時々泣いてしまいそうになることも。
クリフトは、自分のことを知ってくれている。
その上で、自分自身のことを案じ、いつも黙って話を聞いてくれる。甘えさせてくれる。だから、アリーナは立っていられるのかも、知れない。

それでも、アリーナは不安だった。
理由を何度問うたところで、彼の答えは同じだろうが、それでも不安で不安で、心がいっぱいだった。

「……クリフト、なんで? なんで、危険を冒してまで着いてきてくれるの。尽くして、くれるの。だって、さっきも言っちゃったけど、下野をして一般人として生きてみようか、なんて考えちゃうような、弱い私なんだよ? 王女として、皆を引っ張っていくなんて……重たいよ。私が、私が王女じゃなかったら。その地位を捨てたら、私には何も残らない。何の価値もない。……頭が、ぐちゃぐちゃで、忙しい、よ」

目の前の夕暮れのスタンシアラの水路の水は、ほの紅く染まり、サラサラと流れていく。夕飯時のせいか、どこかの家から玉ねぎを炒めるような、甘い匂いがしていた。

それでも、クリフトは黙っている。
逆光で、アリーナからはクリフトの表情が全く見えない。彼は怒っているのか、呆れているのか、憐んでいるのか。まるで分からなかった。……と、そこで、クリフトの低い声が微かな河風に乗って聞こえてきた。

「『そんなこと、仰らずに』という言葉は、冷たいものですね。まるで、遠い他人事のように、投げかけられた人の心に侵食して、型に嵌めようとする。……期待や、悪く言えば話を打ち切りたくて、そんな言葉を発してしまうことも、あるのでしょう。世の中、そんな言葉で救われた気になったり、いい気分になれる人も、一定数いるのでしょう。しかし、私はそのような物言いは、好みません。ことの本質の解決には、ならないのだから」

相変わらず、アリーナからはクリフトの表情が見えないままだ。夜を迎えつつある涼しい河風が、アリーナのスカートの裾をつまむように、さらっていく。

「姫さまは……確かに姫さまだけれど、その前に、私よりも年下で、そして確実にヒトなのです。迷い、悩み、矛盾を抱えて、それでも生きていくのが、ヒトという生き物。姫さまが、前に進んでいくからこそ、ときに悩むのでしょう。ヒトには心があるからこそ、前を向けば向くほど、疲れてしまうし、強がれば強がる分、綻びも出てしまう。そんな、姫さまの悩みに向き合うことが出来ていなかった。姫さまの辛さに気付けなかった。……幼いときから長い間、一緒に時を過ごしているというのに。…だからその、悪かった、というか…」

アリーナは、首を振った。
その顔は夕陽を浴びて、高揚しているようにも見える。

「結局、私が弱いからだよ。疲れてしまうとか、そんなのダメだもの。私は城のみんなを見つけたい。確かに、武道会の決勝を控えて、突然いなくなっただけのピサロを追って、探して、見つけ出して。だから何が出来るの? とは、思ったりもするけれど。そんな細い糸みたいな手がかりでも、私は追わなきゃいけない。弱音なんて、吐いちゃいけないし、辛さだって前を向くことで忘れていかなきゃいけないの。次の、次の、また次の街へ、目的地へ……行く為に」

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