pickup!

ひと通りの役目を終わったクリフトが宿へ戻ろうと、水路を行き来してくれる船頭に、宿へ向かうように頼み、宿へ向かっていると、宿の東側にある小さな小島に、普段着に着替えたばかりのアリーナが立っているのが見えた。背中を向けていて、クリフトからは表情が見えない。そこでクリフトは、船頭に声をかけた。

「あの、すみません。宿ではなく、あの小島へ向かってくれますか。…そう、女性が立っている、あの小島です」

水路は透き通り、数は少ないながらも魚が泳いでいる。船頭の操る小舟は、そんなゆったりとした水路をゆっくりと小島に近づき、やがて止まった。

「ありがとう。少ないけれど、取っておいてくれ」
「これはこれは、ありがとうございます。旅の神官さま。あなたの旅路に幸あらんことを」

小舟が去った後の小さな小島には、アリーナとクリフトが残された。淡いブラウンの秋物のワンピースに、革で出来たワインレッドの細身のロングブーツ、シルバーに小さなルビーをあしらったシンプルな、リーフクリップで髪の毛をアップにし、俯きながら透き通った水路を眺めていたアリーナは、クリフトを見つけると、ほんの少しだけ、驚いたような顔を見せた。

「あ、なんだ。クリフトかー」
「そのような格好だと、まるで観光に来た方みたいですね。どうしたのです? じき、陽が沈んでしまうし、風邪をひいてしまいますよ」
「うん……」

アリーナは、少し俯いたままの姿で応えた。
そして、顔を夕陽に代わっていく太陽に向け、眩しそうに目を細めた。

「お日さま、見てたの。短い時間で、夕陽に代わっていくお日さま、結構好き。陽が沈んでしまう前の、空の色が好き。今日という日を名残惜しんでいるみたいだし、街が、世界が、ゆっくりと、昼から夜の熱で冷めていくような感じ……。夜が来て、また、朝が来て…。世界って広いなって。私、ちっちゃいなって、思うの。でも、その気持ちは、嫌なものじゃないんだ。私は、ちっちゃい。……それだけ」

つら、つら、と、彼女の中でもまとまっていないであろう胸のうちを話すアリーナの言葉を、クリフトはただ聞いていた。

「……私、モニカ姫から最初のお手紙を貰ったときね。武道大会で優勝した人と結婚させられてしまう、そんなの自分だったら絶対にイヤだって、思ったの。……でも、それだけじゃなくて。なにもない私にも、必要としてくれる人が、助けの声を出すに値するものが、あったんじゃないかって思ったの」

アリーナ姫の艶やかな髪に、長いまつ毛に、ふんわりと揺れる服の裾までもに、今日の夕陽の光が降り注いでいく。暖かでありながら、心なし冷えた、黄金の光が。

「ちょっと、だけ。他の世界を知りたかった。綺麗な景色を見たり、森の奥を掻き分けて進んだり、誰かに必要とされながら。他の世界も……。結果的に、モニカ姫ご自身はお互いを強く想い合った方と結ばれて……。私の無茶な行動も、無駄じゃなかった。腕力以外に取り柄のない私の行動が、世界のどこかで影響することもあるんだ、って……そんなこと、考えちゃったりもして」

クリフトは、なおもまた、黙ってアリーナの話を聞いている。彼は口を一切開こうとしない。これは彼女の独白なのだ。王女という殻を被ってこそのアリーナ姫ではあるが、その殻の中には、年相応の少女の姿がある。それもまた、アリーナ姫のひとつの大切な側面なのだから。

「知らない街の、名前だけ知っていた国の城下町の夕陽が、こんなに水辺に反射して、美しいなんて。私、考えたこともなかった。必死に着いてきたくれたクリフトや爺やには、叱られてしまうかも知れないけれど……。私、サントハイム王女の立場を捨てて、下野しようか、なんて思ったことだってあるんだ。そうしたら、普通の……一般人として暮らせるかも知れないって。こんなに、世界は広いのだから」

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